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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)2032号 判決

原告

山下輝義

右訴訟代理人

森川明

川中宏

稲村五男

渡辺哲司

加藤英範

村山晃

田﨑信幸

飯田和子

被告

日本コロムビア株式会社

被告

キングレコード株式会社

被告

ビクター音楽産業株式会社

被告

ポリドール株式会社

被告

東芝イーエムアイ株式会社

被告

テイチク株式会社

右六名訴訟代理人

松井正道

城戸勉

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  「神雷部隊の歌」と題する別紙楽譜目録第一記載の楽曲の著作権が原告に属することを確認する。

2  被告らは、「同期の桜」と題する別紙楽譜目録第二記載の楽曲を録音したレコードを製作し、又は販売してはならない。

3  被告らは、いずれも、原告に対し、金五〇万円と、これに対する、被告ビクター音楽産業株式会社にあつては昭和五五年三月一三日から、被告テイチク株式会社にあつては同月一五日から、その余の被告らにあつては同月一二日から、それぞれ支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  3につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、以下のとおり、別紙楽譜目録第一記載の歌(以下、「神雷部隊の歌」という。)の楽曲を著作した。

原告は、海軍軍人として潜水艦に乗艦勤務していた昭和一八年五月ころから、訴外人から貰い受けていた氏名不詳者作詩の「ああ空の特攻隊」と題する歌の歌詞に、添削を加えるとともに、楽曲を付す作業をし、同年九月ころには、ほぼ「「神雷部隊の歌」に近いものができあがつた。

その後、原告は、石川県の山中海軍病院に勤務中の昭和一九年六月ころ、隣接地の小松海軍航空基地に「神雷部隊」という名称の特攻隊が編成されたという噂を聞き、また、同月下旬ころ、原告の弟が乗艦する潜水艦が撃沈されたことを聞き、飛行機乗組員(特攻隊)と潜水艦乗組員のよく似た境遇に思いをはせつつ、そのころ、「神雷部隊の歌」の楽曲及び歌詞を完成した。

2  被告らは、別紙楽譜目録第二記載の歌(以下、「同期の桜」という。)が収録された別紙レコード目録記載の各レコードをそれぞれ製作、販売している。

3  「同期の桜」の楽曲は、「神雷部隊の歌」の楽曲と若干の相違点は見られるものの重要な部分は同一であつて、全体として同一の楽曲というべきであり、「神雷部隊の歌」の楽曲の複製物にすぎない。

したがつて、被告らの右2記載の行為は、原告の「神雷部隊の歌」の楽曲の著作権を侵害する。

(なお、「神雷部隊の歌」の歌詞と「同期の桜」の歌詞も、よく似ているが、昭和一三年に西条八十が少女雑誌に発表した「二輪の桜」と題する詩に似ている部分も多いことなどから、原告は、「神雷部隊の歌」の歌詞については著作権を主張しない。)

4  しかるに、被告らは、「同期の桜」を収録したレコードに、「作曲者不詳」と表示しており、原告が著作権者であることがマスコミでとりあげられた昭和五一年以降も、原告が著作権者であることを認めようとしない。

5  被告らは、原告に支払うべき著作物使用料を支払わずに「同期の桜」の楽曲を収録したレコードを製作、販売することにより、右使用料相当の利得を得、原告は同額の損害を受けた。

右使用料はレコード一枚につき六円を下らず、レコードの製作、販売数は別紙レコード目録記載の各レコードにつき一〇万枚を下らないから、被告らの不当に利得した金額は、被告日本コロムビア株式会社が七八〇万円、被告キングレコード株式会社及び被告テイチク株式会社が各六〇〇万円、被告ビクター音楽産業株式会社が一〇八〇万円、被告ポリドール株式会社が一二〇万円、被告東芝イーエムアイ株式会社が六〇万円である。

6  よつて、原告は、「神雷部隊の歌」の楽曲の著作権が原告に属することの確認を求めるとともに、被告らに対して、「同期の桜」の楽曲を収録したレコードの製作、販売の差止及び、前記不当利得金のうち五〇万円ずつとこれに対する各訴状送達の日の翌日である請求の趣旨3記載の日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は否認する。

2  同2のうち、別紙レコード目録記載28番のレコードについては否認し、「同期の桜」が収録されたその余のレコードを製作、販売したことは認める。ただし、同目録記載2、5、8、10、12、13、18、19、24、25、35、37、39、41、43、44、49、51、53及び54番の各レコードは、廃盤となつており、現在販売されていない。

3  同3のうち、「同期の桜」の楽曲と「神雷部隊の歌」の楽曲とが同一の楽曲であることは認め、その余の事実は否認する。

4  同4のうち、被告らが「同期の桜」を収録したレコードに作曲者不詳と表示していること及び原告が著作権者であることを認めていないことは認める。

5  同5の事実は否認する。

三  被告らの主張

1  「神雷部隊の歌」の楽曲は、西条八十が作詞し、大村能章が作曲した「戦友の唄」と題する別紙楽譜目録第三記載の歌(以下、「戦友の唄」という。)の楽曲と同一の楽曲であり、これを模倣、複製したものである。

また、この「戦友の唄」は、「同期の桜」の元歌であり、両者の楽曲は同一である。

2  「戦友の唄」が「同期の桜」となるに至つた経過は、以下のとおりである。

(一) 被告キングレコード株式会社の前身である大日本雄弁会講談社は、昭和一四年春ごろ、「戦友の唄」を樋口静雄の歌唱によりレコードに製作し、同年七月新譜として発売した。同レコードは、国内各地のレコード小売店を通じ少なくとも昭和一六年ころまで継続発売されたほか、昭和一五年後半から昭和一六年夏ころまでの間、北支派遣の日本軍部隊に対する慰問品として各中隊に配布されるなど、外地にも普及した。その発売総数は明らかでないが、少なくとも二〇〇〇枚以上であつたと思われる。

(二) 「戦友の唄」のレコードは、広島県江田島の海軍兵学校生徒達に購入され、同校生徒達により替え歌が作られ、楽曲も一部変えられながら、誰の作詞、作曲と名乗られることなく、兵学校生徒に広く愛唱されるに至り、更に「同期の桜」として軍隊仲間に普及していつた。

(三) 「戦友の唄」のレコードは、昭和一六年ごろ以降、生産、販売が打ち切られ、その後、このレコードのことは、業界を含め一般世人の記憶から忘れ去られてしまつた。

(四) 戦後、昭和三五年ころから一般に市販されていた歌集には、「同期の桜」が作曲者の表示を付さないで掲載され、これを資料にして、昭和三九年ころから「同期の桜」がレコード化されるようになつた。したがつて、各レコードにおいても、「同期の桜」の作曲者は不詳と表示されて、最近に至つた。

(五) ところが、昭和五五年に前記「戦友の唄」のレコードが発見され、「同期の桜」の作曲者は大村能章であることが判明した。

3  仮に、原告が「神雷部隊の歌」の楽曲を創作したのだとしても、被告らは、その各レコードを製作、販売するに当たり、「神雷部隊の歌」の存在を知らず、これを模倣、複製したことはないから、原告の著作権を侵害していない。

四  被告らの主張に対する原告の反論

1  「戦友の唄」の楽曲と「同期の桜」の楽曲が、同一の楽曲というべき程度に類似していることは、認める。

2  「戦友の唄」のレコードが製作、発売されたことは、以下の理由により、極めて疑わしい。

(一) 作曲者とされる大村能章自身が、生存中「同期の桜」を聞きながら(同人の死亡は昭和三七年、「同期の桜」が広く歌われだしたのは昭和三〇年代の前半である。)、自分の作曲であると一言も言わなかつた。したがつて、同人は、「同期の桜」が自分の作曲でないことを認めていたものと推測される。

(二) 被告キングレコード株式会社は、本訴が提起されるまでの約二〇年間「同期の桜」の作曲者を不詳としてきた。レコード会社である同被告が自社の前身である大日本雄弁会講談社の製作発売したレコードのことを忘れてしまうことはありえない。同被告の社内には、「戦友の唄」のレコーディングや宣伝等に関与した者等が多数いるはずであるが、そのだれもが右レコードのことを全く忘れ、「同期の桜」を作曲者不詳として何らあやしむことがなかつたということは、全く信用しがたい。また、同被告が、レコードを永久保存したり著作権の管理をせずにいたということも、ありえない話である。

(三) 作詞西条八十、作曲大村能章という組み合わせは、当時でも既にいわゆるゴールデンコンビであつたはずであるから、「戦友の唄」が社団法人日本音楽著作権協会に信託されなかつたことは、不可解である。

(四) 「戦友の唄」及び「同期の桜」の作詞者とされる西条八十が死亡したのは昭和四五年であるのに、同人の側から作曲者大村能章の名前がなぜ上がつてこなかつたのか、極めて不思議である。

(五) 原告が「神雷部隊の歌」を完成させるまでに添削指導を受けたのは、田村しげるであるが、同人は、当時大村能章と共同で音楽学校を経営するなど親密な交際をしていた有名な作曲家であり、樋口静雄とも師弟関係にあつた。したがつて、「戦友の唄」が少しでも人口に膾灸していたのであれが、田村が知らないはずはなく、原告の「神雷部隊の歌」の添削指導をするはずがない。

(六) 「戦友の唄」のレコードの発見の経緯にも疑問があり、少なくとも発見されたとするレコードが昭和一四年ころの原物であることについての直接の証拠はない。また、レコードと共に発見されたとする歌詞カードにも疑わしい点がある。

(七) 「同期の桜」にふれたあらゆる著作物は、その創作年月日を昭和一九年としている。

3  仮に、「戦友の唄」のレコードが昭和一四年に製作、発売された事実があつたとしても、原告は、この事実を全く知らずに「神雷部隊の歌」の楽曲を作曲したものであり、また、「同期の桜」の元歌となつたのは、「神雷部隊の歌」であつて、「戦友の唄」ではない。すなわち、「神雷部隊の歌」は、まず昭和一九年に山中海軍病院及び小松基地でさかんに歌われるようになり、その後他の特攻隊でも歌われるようになり、それが「同期の桜」として広く全国に広がつたのである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一〈証拠〉によれば、次の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  被告キングレコード株式会社の前身である大日本雄弁会講談社は、昭和一四年七月新譜として、レコード番号三〇〇八〇のレコードを発売した。このことは、同年五月三〇日印刷、六月一〇日発行の「東京通信」第六九七号誌上で予告された。

(二)  右のレコードの片面には、「戦友の唄」と題する歌が収録されており、レコード上には「西條八十詞・大村能章曲編」と、また、その歌詞カードには「西條八十作詞」「大村能章作曲編曲」と表示されている。

(三)  右レコードに収録されている「戦友の唄」と題する歌の楽曲は、別紙楽譜目録第三記載のとおりであり、その歌詞は、別紙歌詞目録第一記載のとおりである。

(四)  右レコードは、発売以来、少なくとも昭和一五年末までは継続的に一般に販売された。

原告は、「戦友の唄」のレコードが製作、発売されたことは極めて疑わしいとして、その理由を六つ掲げている。確かに、戦後長い間「同期の桜」が作曲者不詳と取扱われていたにもかかわらず、大村能章や西条八十が、「戦友の唄」の存在について名乗り出なかつたことは被告らも自認するところであり、その理由は本件証拠によつても不明であるが、それにもかかわらず、前記各証拠は、右(一)ないし(四)の事実を証するに十分であつて、いささかもその証明力がそこなわれるものではない。原告の右主張は採用しない。

二右(一)ないし(三)の事実によれば、別紙楽譜目録第三記載の「戦友の唄」の楽曲は、遅くとも昭和一四年五月までに作曲されたものであることが明らかであり、その作曲者は大村能章であると推認され、これを覆えすに足る証拠はない。

また、〈証拠〉によれば、雑誌「少女倶楽部」昭和一三年二月号に掲載された絵小説「二輪の桜」の冒頭に、「戦友の唄」と副題の付いた「二輪の桜」と題する別紙歌詞目録第二記載のとおりの詩が掲げられ、作者として西条八十の名が記されていたことが認められる。右事実によれば、同目録記載の詩(以下「二輪の桜」という。)は、昭和一三年二月までに創作されたものであることが明らかであり、その著作者は西条八十であると推認される。

別紙歌詞目録第一と同第二記載の各詩を対比すれば、これらが、若干の相違点はあるものの、著作物としては同一性を有するものであることが明らかであり、右の各事実からして、「戦友の唄」の歌詞は、西条八十が自作の詩「二輪の桜」の一部に手を加えて歌唱用の歌詞として完成したものと推認される。そうすると、右事実と前記認定の事実により、「戦友の唄」は、先ず西条八十が「二輪の桜」を基にして作つた歌詞に、大村能章が楽曲を付すことによつて、完成されたものと認定できる。

ところで、原告の主張によれば、原告は、「戦友の唄」を知らずに、昭和一八年から一九年にかけて、別紙楽譜目録第一記載のとおりの「神雷部隊の歌」の楽曲を作曲したものであり、その歌詞は、同目録のとおりであつて、それ以前に他人から譲り受けた歌詞に添削を加えて完成したものであるというのであり、原告本人尋問の結果中には、これに沿う部分が存する。ところが、別紙楽譜第一記載の歌詞と別紙歌詞目録第一記載の歌詞とを対比すれば明らかなとおり、「神雷部隊の歌」の歌詞は、「戦友の唄」の歌詞の(一)の前半及び(二)の後半に極めて近似していると認められる(なお、「戦友の唄」の歌詞と同一性を有すると認められる「二輪の桜」と「神雷部隊の歌」の歌詞が似ていることは、原告も自認している。)。また、別紙楽譜目録第一記載の楽曲と同第三記載の楽曲とを対比すれば明らかなとおり、「神雷部隊の歌」の楽曲は、「戦友の唄」の楽曲と同一の楽曲というべき程度に類似していると認められる(なお、「神雷部隊の歌」の楽曲と「同期の桜」の楽曲が楽曲としての同一性を有していること、「戦友の唄」の楽曲と「同期の桜」の楽曲が同一の楽曲というべき程度に類似していることは、当事者間に争いがない。)。そうすると、原告は、たまたま入手した歌詞に添削を加えて「神雷部隊の歌」の歌詞を完成したところ、「戦友の唄」の歌詞に極めて近似したものができあがり、これに付すために楽曲を創作したところ、これも「戦友の唄」の楽曲と同一の楽曲というべき程度に類似したものが偶然にもできあがつたということになる。しかし、別人が別個の機会に互いに何の関係もなく、それぞれ歌詞とこれに付する楽曲を創作したところ、いずれも互いに極めて近似したものとなるというようなことは経験則上認めがたく、このことと、前記のとおり、「戦友の唄」が、遅くとも昭和一四年五月には創作され、同年七月にはレコード化され、右レコードは少なくとも一年半の間にわたり継続して一般に販売されていた事実が認められることを合わせ考えると、前記原告本人尋問の結果は措信しえず、他に、原告が「戦友の唄」を知らないで、これと無関係に、「神雷部隊の歌」の楽曲を創作したことを証するに足りる証拠はない。そして、別紙楽譜目録第一と同第三記載の各楽曲を対比すれば明らかなごとく、「神雷部隊の歌」の楽曲は、「戦友の唄」の楽曲に新たな創作性を加えてできあがつたものとは認められないから、「戦友の唄」の楽曲の二次的著作物であると認めることもでぎない。

したがつて、原告が別紙楽譜目録第一記載の「神雷部隊の歌」の楽曲の著作権を有しているものということはできない。

以上のとおりであるから、原告が「神雷部隊の歌」の楽曲の著作権者であることを前提とする本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

よつて、本訴請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(牧野利秋 川島貫志郎 大橋寛明)

レコード目録(五四種=番号・製作会社・レコード記号・題又は歌手ないし演奏者名)〈省略〉

歌詞目録第一

(一) 君と僕とは 二輪の桜

おなじ部隊の 枝に咲く

血肉わけたる 仲ではないが

なぜか気が合うて 離れられぬ

(二) 君と僕とは 二輪の桜

積んだ土嚢の 蔭に咲く

咲いた花なら 散るのは覚悟

見事散りましよ 皇国のため

(三) 君と僕とは 二輪の桜

共に皇国の ために咲く

昼は並んで 夜は抱き合うて

おなじ夢みる 弾丸の中

(四) 君と僕とは 二輪の桜

別れ別れに 散らうとも

花の都の 靖国神社

春の梢で 咲いて会ふ

歌詞目録第二

二輪の桜

戦友の唄

君と僕とは二輪のさくら、

積んだ土嚢の陰に咲く、

どうせ花なら散らなきやならぬ、見事散りましよ、皇国のため。

君と僕とは二輪のさくら、

おなじ部隊の枝に咲く、

もとは兄でも弟でもないが、

なぜか気が合うて忘られぬ。

君と僕とは二輪のさくら、

共に皇国のために咲く、

昼は並んで、夜は抱き合うて、

弾丸の衾で結ぶ夢。

君と僕とは二輪のさくら、

別れ別れに散らうとも、

花の都の靖国神社、

春の梢で咲いて会ふ。

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